太陽が僕らを置いてきぼりにして、この惑星の裏側まで進んだ頃合い。それこそが僕の目的には格好の時間だ。僕は望遠鏡を肩に担ぐと、闇に包まれた香霖堂を後にする。
 目指すは小高い丘の上。標的は遙か天の彼方。頬を刺す寒風も、肩に食い込む望遠鏡の重さも、その標的を目にする為ならば何ら苦にならない。
 歩く事しばらく。肩の痛みと足の張りに明日の惨劇を覚悟し始めた頃、僕は目指す場所へとたどり着く。ここまで来れば後は簡単。僕は慣れた調子で一人黙々と望遠鏡の準備をする。
 さほど時間も掛からずに支度を終えると、僕はいよいよ待ちに待った瞬間が訪れた事を知る。事前の計算が正しければ、今この望遠鏡を覗けば、まさしく標的は真正面に見据えられているはずだ。そう、僕が望む星、僕だけの輝きを。
 高鳴る心を押さえつけつつ、少しずつ、ゆっくりと僕は自らの目を望遠鏡へと近づける。まるで贈り物を目の前にした子供のようだな。僕は内心で自嘲する。しかし、どうせここには僕以外誰もいないのだ。ならば心を偽る必要なんて無い。自らの好奇心の赴くまま、好きなだけ自分の欲望を解放してやろうではないか。自らの感情のままに動くのだって、たまには楽しいに違いない。
 そうして自分を納得させると、僕はいよいよ望遠鏡を覗き込む……
「よう香霖! こんな時分になにやってんだ!」
 はずだった。





「こんな夜分に散歩とは随分と趣味が悪いな、魔理沙」
「知らなかったのか? 夜は魔法使いの時間だぜ。むしろ今こそがショータイムだ」
「ショータイムならば別のやつに見せつけてくれば良い。生憎ここに客はいないよ」
「あぁ、確かにこんな無愛想なやつは客とは言えないな。そんな顔をしてるからにはきっと儲かってないに違いない」
 顔を会わすなりいつも通りの減らず口を飛ばしてくる魔理沙。そのあまりに変わらぬ口調のせいで、冷たい夜風が吹きすさぶ野外だというのに、まるでいつもの店内にいるかのように錯覚しそうになる。
 対する僕はといえば、まさかここで茶々が入るとは考えもしていなかったので、ついつい不機嫌な応対をしてしまう。
 いけないな。楽しみを邪魔されてふてくされているようでは、それこそ子供と大差ない。僕には僕にもっとふさわしい対応が出来るはずだ。とはいっても、この程度の減らず口の応酬など魔理沙にとっては日常茶飯事のようで、全く気にしたそぶりは見せていないが。
「それで、今日は何を見せつける為に来たんだい?」
「まぁ、そう言われても見せつけるものなんて無いけどな。むしろこんな時間に香霖を見つけたのが珍しくて、ついつい着いてきただけだし」
 フムン。珍しいから付いてきた、と。それこそまさしく子供じみた行いだ。それで邪魔をされた方は堪ったものではないのだが。
 他人の珍しい言動を目にしたのなら、その人の感情を汲み取ってそっとしておくのが常識的だとは思わないのか。しかしそれを彼女に言ったところで、意に介するなんて殊勝な心がけは期待出来そうもない。この幻想郷において、風は読めるくせに空気の読めない少女のなんと多い事か。他人の感情などお構いなしの少女達は、全く以て悲劇的だ。
「それで、香霖はわざわざこんなところで何を見ようって言うんだ? 見えないものを見る為にそんなでっかい荷物をわざわざ担いで来たんだろう?」
 非常に非情で悲劇的な少女である魔理沙の問いに、僕はしばし考える。正直に答えるべきか、否かを。
 そもそも、僕だけの時間に土足で乗り込んでくるという非常識な行動をしたのは彼女が先だ。ならばこちらも不実な言葉でその泥に対する返答を行ったとしても罰は当たらないだろう。
 しかしその誠実とは正反対の行動は、何か棘を僕の中に残す気がする。
 今、僕は自らの星をこの目に映す為にここに来た。心を偽りその目的を誤魔化すのは、その星を目にする資格を失う事に繋がらないだろうか。真正面から向かい合う事を拒否した僕の視覚は、二度とかの星を捉えられなくなってしまうので
 はないか。
 僕はそんな、ともすれば被害妄想とも思われかねない考えを抱く。僕は、僕の心はどうするべきだと囁いているだろうか。理性で心を閉ざすか、感情で心を開け放つか。
 ややあって、正直に心の内を魔理沙に吐露する事を決心した。ここで嘘を吐いたとして、それで得られるものと失われるものが等価値ではないと考えたからだ。自分に利がある方を選ぶのが商売人の鉄則。僕にとってあの星の存在はそれほどまでに特別なのだ。例え得られるものが目に見えない、他人にとっては失笑に値するものだったとしても。
「僕はね、どうしても見たい星があるんだ」
 僕の答えに魔理沙がへぇ、という声を上げる。
「星か……実は私も星には興味があってな。しかも香霖がわざわざ見たがる星なんてくれば、好奇心がツンツン刺激される……どうしても見てやりたくなるじゃあないか!」
「つまり大人しく帰るつもりは毛頭無い、と」
「毛先は沢山あるが帰る気配は無いぜ」
 はぁ……まぁ、仕方がないか。魔理沙に星の話題を持ち出せばこうなる事は判りきっていたのだ。僕だけの時間を取り戻す事は不可能だと。判ってはいても、僕にはあの星と向かい合う為に嘘を吐くなんて真似は出来なかった。
 だから、これは仕方がない。自らの行動には責任を持つのが大人の振る舞いだ。大人は大人らしく、大人しく自分の言葉が招いた結果を享受するとしよう。
「ならば魔理沙、望遠鏡を覗いてみると良い。幸い、準備はすでに完了している。後は覗き込むだけで目当ての星が映るはずさ」
 生憎と望遠鏡は二人で使えるものではない。僕は大人しく覚悟を決めると、魔理沙へと順番を譲ってやる。どうせ彼女の事だ、先に僕が使おうものならさっさと変われとせっついてくるに違いない。だったら先に満足するまで見せてやれば、その後に僕が心ゆくまで望遠鏡を使えるだろう。
「おっ、流石香霖。レディの扱いが判ってるじゃないか」
 僕の言葉に魔理沙は満足そうな笑みを浮かべる。全く、レディと言うには色々と足りてないのではないかと思うが、今はぐっと飲み込んでおくとしよう。それが大人の対応だ。
「はいはい、良いから早く見てみたらどうだい。急がないと位置がずれる可能性もある」
 そう、急いでくれないと僕が愉しむ時間も無くなる。
「はいはい、判ってるぜ……おぉ、見えた。が……」
 望遠鏡を覗き込んだ魔理沙が感嘆と困惑の混じった形容しがたい声を上げる。
「随分とぼやけた星だな。六等級ってところか? 何だってまたこんな星を香霖は見たがったんだ?」
 望遠鏡から目を離さぬまま、魔理沙がこちらへと疑問を投げ掛けてくる。ぼやけた星。確かにそうだろう。肉眼では捉える事も困難なレベルの明るさだ。だがその輝きの存在こそが、僕には重要なのだ。
「魔理沙、君はその星の名前は知っているかい?」
「この星? そういえば……この方角にこんな星が合ったなんて記憶にないな。暗い星だから見逃してたのかも知れないが」
「そうだな。普通に夜空を見上げていたのでは、その星の存在にはまず気が付かないだろう。しかし、その星の名前はきっと知っているはずだ」
「もったいぶるなよ香霖。で、一体どんな名前なんだ、このぼやけた星の正体は」
 望遠鏡から顔を上げ、興味津々に魔理沙がこちらを見つめてくる。フムン。自分ではもったいぶっているつもりはなかったのだが。まぁ良い、ちょうどそろそろ答えを提示しようと思っていたところだ。
「その星の名は、『冥王星』。かつて第九惑星であったが、その称号を外された星さ」
 僕の答えに魔理沙はなるほどという言葉と共に納得の表情を浮かべる。が、その表情はすぐに陰った。
「待て待て香霖。これが冥王星だって?」
「そう、それは間違いなく冥府の王の名を冠した星だよ。座標等を調べて割り出した結果だ。間違いない」
「馬鹿言うな、冥王星がこんなに明るいはずがないだろう。あれは確か十三等級もなかったはずだぜ。肉眼じゃとてもじゃないが見られるはずがない」
 ほう、流石星が好きと公言するだけあって中々勉強を積んでいるようだ。冥王星の等級も把握しているとは。
「確かに、冥王星の明るさは目に映るレベルのものではない。だがそれも、一昔前までの話だ」
「一昔前? まさか突然冥王星が輝きだしたとでも言うつもりか?」
 肩をすくめ、呆れたとでも言いたげな顔で魔理沙が僕を見据える。全く、ころころと良く変わる表情だ。
「そう、そのまさかさ。冥王星はここ数年で突然輝きを増した。まるで別の星になったかのように」
「恒星でもあるまいし、そんな突然星が輝きを増すなんて事は有り得ないだろう」
「まぁ、これに関しては僕なりの考えというものがある。まずは大人しくそれを聞いてくれないか」
 納得がいかないといった調子の魔理沙に対して、僕はまず落ち着くように手振りで合図する。僕の話を聞けば、魔理沙もきっと腑に落ちるはずだ。
「さっき僕は言っただろう。冥王星は『その称号を外された』と」
「あぁ、そういえばそんな事を言ってたな」
「冥王星が輝きを増したのはちょうどその頃だったのではないかと僕は考えている」
 もっとも、輝きを増した事に気が付いたのはここ最近なのだが。それも冥王星と知っていて見つけたのではなく、一晩中訳もなく夜空を眺めていたらたまたま鈍く光る星を見つけた、という話だ。まさしく偶然の呼んだ奇跡の出会いという訳だ。
「つまり……冥王星が幻想入りしたって事か?」
 まだ僕の説明の途中だというのに結論を語り出す魔理沙。だが悲しいかな、彼女の結論は僕の結論とは似て非なるものだ。
「それはちょっと違うな。冥王星自体は以前から幻想郷からも見えていたはずだ。ただその暗さ故に誰も気が付かなかっただけで。太陽や月、その他の天体が幻想郷からは昔から見える事からもそれは判る」
 僕は魔理沙に余計な口出しをされぬよう矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「ならば、何故冥王星は突然輝きを増したか。それは『第九惑星』が幻想入りし、その幻想の輝きが実存の冥王星へと重なったからに他ならない」
 力強く、僕は結論を魔理沙へと提示する。
 そう、幻想の輝きと本来の冥王星の輝きが重なりその光を増す事で、ようやく冥王星は人の目が捉えられる明るさへと至ったのだ。冥王星が輝きだした理由は、これ以外に考えられない。
「幻想の星と実際の星が重なる……なるほどな。それだったら確かに急に明るくなるのも納得だぜ」
 得心がいったという表情で、魔理沙は満足そうに笑う。どうやら僕の話に納得してくれたようでなによりである。
「で、これが冥王星だというのは判った。それで、なんで香霖はわざわざその冥王星を『どうしても見たい』と思ったんだ。それこそが最も重要な謎だぜ」
 思いがけず飛んできた魔理沙の質問に、僕は完全に虚を突かれた。まさかそれを気にするとは。あの時魔理沙の言葉に正直に答えたのを、僕は今更になって後悔する。
 しかし、すでに僕は正直に話すと決心してしまっているのだ。そして自らの言葉に責任を持つとも。ならば、今更ここで嘘を吐く事は出来ない。自分の言葉を裏切る事だけはしたくはないのだ。自分で自分の言葉すら信じられなくなれば、大人として胸を張って生きる事など到底出来はしない。
「僕が冥王星を見たいと思った訳は……訳は……あの星が僕しか知らない秘密の星だと思ったからだ……」
 しかし決心をしたとて、胸に秘めた秘密を吐露するというのは中々辛いものがある。面映ゆいというか何というか。子供じみた言葉をいい大人が吐いているという自覚がある分なおさらだ。
 そう、あの星の輝きの事を知っているのはこの幻想郷でも恐らく僕だけだろう。皆もっと輝く星に目を取られ、太陽系の果てで忘れ去られた星になど目もくれないだろうから。その事から、まるであの星の鈍い輝きが僕に気が付かれる為だけに存在する気がして、それが無性に楽しかったのだ。
 この世界で僕だけが知っている、吹けば消えてしまいそうな小さな小さな光。そんなちっぽけで、しかし確実に存在する光に、僕は何故だか親近感を抱いた。そして僕は、それを大切にしまい込んでおこうと考えたのだった。
 僕は勝手にあの星を所有した気になって、だからこそあの星に対して嘘を吐く事が出来なかった。嘘を吐いて目を背ければ、あの幻想の輝きがたちまちかき消えてしまうような思いが浮かんだのだ。なにせ、あの輝きを知るものは僕一人だけなのだから。僕だけが、あの星の存在を証明する事が出来るのだから。
「ふぅん……その秘密を、たまたま私が知ってしまった訳か……。それにしても『自分だけの秘密の星』、か。香霖も中々子供みたいな事を考えるんだな……」
 何故だかニヤニヤとした笑みを浮かべる魔理沙。彼女はこの事態をどのように扱うのだろうか。口止め料でも請求してくるだろうか。それとも面白がってこちらをからかうネタにでもするだろうか。まさかそこら中に言いふらして回るような真似だけはしないと信じたいが……
「って事はだ。今あの星は『私と香霖だけの秘密の星』になったって訳だ」
 魔理沙は心底嬉しそうにそう告げる。一体何がそんなに愉快なのか。僕としては気が気でないのだが。まるで『大人』としての仮面を剥がされて、ありのままの自分を見詰められているようで。
 僕の訝しげな目線に気が付いたのか、魔理沙はこちらへと近寄ってくると、僕の隣へ肩を並べた。
 横に並ぶという事は当然視線がこちらから外れる訳で、僕は少し安心した心持ちになる。なにせ、正直なところ今は彼女の瞳と向かい合える自信が無い。
「安心しろ。私は口が堅い大人のレディだからな。秘密のままにしといてやるぜ。誰にも言ったりは、しない。誰にもな」
 魔理沙はそれ以上何も語らず、太陽系の外れで忘れ去られた星へと目を向ける。大いなる惑星の系譜に連なりながら、それを剥奪された哀れな星へ。
 それにしても『大人のレディ』、か。わざわざ僕の隣に並べる事を見せつけようとするところといい、どうにも魔理沙には背伸びをしたがる傾向がある。僕としてはとっくに自分が大人になってしまっている為、そんな彼女の感情はいまいち理解できない。当然、何故彼女が背伸びをしたがるのか、その理由も。参考にするべき僕が子供だった時の感情は既に忘却の彼方であり、到底思い出せそうにない。
 しかし、僕も今さっき子供のような考えを抱いている事を吐露したばかりであり、本質的には魔理沙と大して変わらないのかもしれない。仮面を被ったたままの僕ならば、そんな『少女と変わらない子供のままの僕』なんて思いは絶対に認めないだろうが。
 魔理沙が天を仰いだその動きにつられ、仮面が外れたままの哀れな僕も自然と空を見上げる。
 立派な仮面が外れた子供じみた大人と、大人の振りをしたいわがままな子供。歪な二人組が見詰める夜空には、二人だけの秘密が鈍く輝いていた。


――了